とうもろこしを原型のまま食べるというより、加工した状態で食していることがほとんどだと思います。非常によく使われている食材の原料としてのトウモロコシについて解説している動画を取り上げてみました。
トウモロコシは世界の作物生産量の10%以上を占めています。

アメリカ合衆国だけでもドイツを十分に覆えるほどの広さのトウモロコシ畑があります。

作物はさまざまな種類があるものですが、トウモロコシの99%以上は”デントコーン2号”という品種です。

これは地球上のどの植物よりもこの品種が育てられていることを意味しています。

トウモロコシに限ってこの1つの品種だけが育てられ、農業史上大成功を収めたのはなぜでしょうか?

約9000年前にメソアメリカ発症の野草だったブタトウモロコシから栽培化が始まりました。

ブタトウモロコシの実は岩のように固く、食には適していませんでした。しかし、繊維質の性質を利用した素材として使われました。

その後の4700年でブタトウモロコシは主要作物へと品種改良し、稲穂をより大きく、穀粒は食べられるようになりました。

トウモロコシがアメリカ大陸全体に広がり、先住民族たちは農業を創造した女神としてトウモロコシを崇めていました。

ヨーロッパ人はアメリカ大陸に到来した時、トウモロコシを避けていました。しかし、アメリカの土壌ではヨーロッパの作物栽培は育ちませんでした。

開拓者たちは食物の幅を広げざるを得なくなり、好みに合うトウモロコシを見つけて食料として受け入れます。

やがてトウモロコシはアメリカから大西洋を渡り、アフリカ、ヨーロッパ各地へと広がります。そして多くの国々で人気のある穀物になりました。

アメリカ建国時にはアメリカが世界のトウモロコシの中心地となっていました。

1800年代前半のアメリカでは大きさや味の異なる品種が至るところで作られました。

1850年頃、品種がたくさん増えてきて、それを鉄道会社が梱包したり商人が販売をすることが困難になってきました。


そこで商工会議所は農家に対して1種類の作物を育てることを推奨しました。

1893年、デント種イエローコーンがブルーリボン賞を受賞します。

それ以後、50年間でデント種イエローコーンはアメリカ中に広まりました。

収穫用の機械も普及し、トウモロコシの収穫量も飛躍的に増えていきました。

戦争で使われていた硝酸アンモニウムという科学肥料を使うことで密な間隔で栽培することもできるようになりました。

いろいろな進歩によって農家にとって魅力的な作物となったトウモロコシ。しかし、農業政策によってトウモロコシの栽培量が制限されるようにもなりました。

1972年、リチャードニクソン大統領はこれらの栽培の制限を撤廃し、旧ソ連に対して大規模な穀物販売の交渉を行いました。

栽培の機械化と貿易の拡充によってトウモロコシの生産は世界的な現象となり、一気に広まりました。

トウモロコシからは多数の調製物も研究されています。

トウモロコシから作られるコーンスターチはガソリンから糊まで使える増ちょう剤として用いられます。

高果糖コーンシロップという低コストの甘味料も存在します。

また、トウモロコシは安価な動物用飼料として世界中で急激に広まりました。

エサの価格が下がり、肉を安く生産できるようになりました。それによって肉とトウモロコシ飼料の需要が増加しました。

40%が我々人間が食料として直接食べている割合で、残り60%が世界中の消費財産業を支えています。

有益なことばかりではありません。トウモロコシ畑から流出する硝酸アンモニウムが世界中の水源を汚染しています。

肉の生産増加により飼料用のトウモロコシの需要が増えて、農業に関連した炭素排出量の大半を占めるようになりました。

高果糖コーンシロップは糖尿病と肥満の要因とも言われています。

単一栽培に頼ることはトウモロコシに対する害虫や病原体に対して全滅のリスクを負う可能性も考えられます。

世界の産業として成長したトウモロコシの未来は永久に続くかどうかは時のみぞ知るといったところです。
